尾崎紀世彦/また逢う日まで
という尾崎紀世彦史上最大のヒットソングにして歌謡曲の中でも超有名曲。また逢う日まで。
余談ですが、DJ CARP主催のJPOP歌謡DJパーティ、東京歌謡曲ナイトでは毎年エンディングでこれが必ず使用されます。
「別れのそのわけは話したくない」という冒頭のフレーズのまま[2人で名前消して〜]消して終わるだけで最終的に[こころは何かを話すだろう]で心に任せてしまった。場面設定が不明な歌詞であるがどことなく男の不甲斐ない感情視点で描かれたかのような気もする。
阿久悠といえば歌謡曲大ヒットナンバーをこの世に数多く遺した偉人でもある。
ピンクレディー、沢田研二、都はるみなど数々の歌手にその才能を贈った。
オリコン売上枚数も現時点で、
1位 - 秋元康…10022.6万枚
2位 - 阿久悠…6834.0万枚
3位 - 松本隆…4985.4万枚
4位 - 小室哲哉…4229.7万枚
5位 - つんく♂…3796.1万枚
この世を去っても尚、2位に君臨する最強の天才・作詞家なのである。
彼の遺言の中でも
「感動する話は長い、短いではない。3分の歌も2時間の映画も感動の密度は同じである 」
というのがある。
阿久悠にとっては1つの詩は物語、つまり映画のような構成であり、これはショートフィルムという概念で創作されている。
この「また逢う日まで」の解剖として、
「時代背景」1970〜1971年の出来事、そして群と個の違いが生み出した産物であるというのがわかった。
70年の日米安全保障条約の改定で、安倍首相の祖父:岸信介首相は力ずくでこれを実施しようとした。企業の組合と全学連との間でぶつかり合いが起き、デモで暴徒化、大規模化。まさに日本の歴史に残る有名な事件。
後々の共産主義者同盟赤軍派と日本共産党(革命左派)神奈川県委員会(京浜安保共闘)が合流して結成された連合赤軍が実施した山岳ベース事件、あさま山荘事件などが起きることになるのだが、、
安保更改後、学生運動は衰退化しましたが、世の中に抵抗するという気持ちをもった輩もいました。
しかしながら多くの流れは
世の中を変えられなかったという
挫折感、空虚感を持ち始めます。
阿久悠は
その時、町を出て、孤独な自分を見つめ直す流れになるのではないかと思います。
しかし世の中の流れは
71年以降、日本では博愛を求める時代になった。
阿久悠は、この時、
優しさの中での別れ方を考えたといいます。
時代背景からいうと歌詞改変もこんなかんじになったのではないでしょうか。
これまでになかったありふれた別れ、
男が勝手に家を飛び出して、ついてくんなで!おまえさんちょいと待って!などという別れ方ではなく、2人が納得して同時に部屋から出て行くようなそんなかんじ。
西欧の都会。ブルートーンベースの色調のような空気感。パリのアパートを連想させるような「作詞」をしたみたいです。
「ふたりで ドアをしめて
ふたりで 名前消して
その時心は何かを 話すだろう」
なんともいきなり都会的なかんじになっちゃいましたね。

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