かつて、ネアンデルタール人を現生人類の祖先とする説があった。
しかし、DNAの観点から、現在ではネアンデルタール人は我々の直系先祖ではなく別系統の人類であるとする見方が有力になっている。
ネアンデルタール人の生存は約2万数千年前を最後に、それ以降、確認できない。絶滅の原因はよく分かっておらず、クロマニョン人との暴力的衝突によって絶滅したとする説、獲物が競合したことによって段階的に絶滅へ追いやられたとする説、ホモ・サピエンスと混血を重ねたことで急速にホモ・サピエンスに吸収されてしまったとする説など、様々な学説が唱えられている。
もう一つの説として、ホモ・サピエンスが道具を使いこなす、群で狩りをする。など、頭脳を使う生き物が生き残っていったから、というものもある。
やがて旧石器時代へ移行し
旧人類は道具に模様を入れたり、文字を刻んだりしていくうちに、自然信仰と呪術が広く行われ、絵画だけでなく塗装・彫刻も始まり、動物や女性などの彫刻が見つかっているが、その技術はきわめて高いとされています。
芸術は信仰・呪術と緊密に結びついていました。
そして、
巨石信仰が生まれます。(古神道)
「縄文時代から」ではなく、「旧石器時代から」始まった信仰ではないかと言われている「磐座」。
これは「巨石」「奇岩」を崇拝していた旧石器時代が、縄文時代になって「磐座」を崇拝するという信仰に生まれてきた、と言われています。
【石には神が宿る】
山中で巨石を見たとき、古代の人たちは直感的に神が宿っていると感じたのではないでしょうか。
そういった神聖な感覚や美意識が信仰の対象として祀られてきたのだと思われます。
【神は美しいものにしか宿らない】
縄文時代は自然信仰、調和や平和という象徴。
約1万年間、長らく続きました。
それから社会構造や儀式、人々は神に感謝をしたり、時には楽しんだりするために、祭などの文化が生まれます。
1番重要なのは、目的は一つの思いをみんなで共有するということ。
シンクロニシティという考えに辿り着きます。
盆踊りも、ナイトクラブでDJが盛り上げるのも、すべてはひとつをみんなで共有するということが前提であり、
それが今尚、続いているということです。
時代の中で
良い意味でのパーティ(祭り)もあれば、
血の生贄のような悪い儀式もあったかもしれない。
一般的な祭りの起源は紀元前、神話の時代にまでさかのぼり、太陽の神アマテラスオオミカミが、天の岩戸に隠れ、世界は暗闇に包まれ、あらゆる災害が起きはじめるというところから始まります。
そこで、アマテラスになんとか出てきてもらおうと、踊りの名手アメノウズメがダンスを踊ります。これが神社祭りの起源といわれる有名な「天の岩戸隠れ」のエピソードです。
縄文時代での祭は儀式的なものだった?
歩行訓練の延長上に生まれた踊り→トランス状態、そして性(男女の和合)。その過程で強化した精霊への祈りでした。そのような解脱充足と可能性収束先があったからこそ、人類は飢えの圧力に晒されながらも生き延びることができたのです。
精霊信仰→観念進化によって、生存力を強化し、日本列島において定住・狩猟採集をはじめたのが初期の縄文人です。飢えの圧力が緩和されると、次なる不全として死(の悲しみ)が登場します。その不全を克服すべく、精霊への祈りを強化するために土偶を使った祭祀が行われました。
まつり場と性の関係を指摘する研究者は多い。その代表が梅原猛氏。
あの細長い石を横に放射状に並べ、その真ん中に直立する細長い石を置いた形は明らかに男女の性器の結合の姿を示している。
ストーンサークルは、そういう縄文人の生と死の哲学を見事に造形的に示したものであるといえる。
大集落は中期の末に姿を消し、その後は小規模な集落が増えて行きます。これは大集落が分散して、小集落化したことを示すと考えられ、その原因は気候の寒冷化による食料の減少、ムラが大きくなり過ぎたことによる環境衛生・社会面での破錠、であると推定される。この頃から環状列石等の大規模な記念物が出現するのです。
分散した集団は祭りのときに一堂に集まり、一族の絆を確かめ合っていたようです。環状列石の祭りの舞台であり、大規模な土木工事を行なってまで築かれた、彼等の絆・心の形として示した記念物なのです。
人が死んだ後、魂が死骸から抜け出てあの世へ行くが、ストーンサークルはセックスの行為を示したのではないかと思う。縄文時代の遺跡にはセックスを象徴しているものが沢山あるが、ストーンサークルは、まさに男性器と女性器が結合している状態を表している。即ち生産を表しているのではないかと思う。
死という行為で、一旦あの世へ行った魂が再びセックスによって、子供を作って、この世に生まれ代わってくるようにいう、死と生の象徴、死という事実の中で、やはり再生を願う縄文人たちの心が、ストーンサークルになったのだと思う。
そして、ストーンサークルの周辺の土は、非常に固くなっており、何度も何度も踏み固められたとしか思えないという説を聞いた事があるが、恐らく、縄文人は魂を迎えたり、送ったりする時に、ストーンサークルの広場で、カガリ火を焚き、踊りを踊ったに違いない。それが恐らく、縄文の宗教だったのであろう。縄文のまつりは、日常的な性や踊り、精霊への祈りといった行為を基盤として、単一集団の日常的な営みにから、単位集団を超えた非日常的な営みへと発展していきました。集団の拡大は共認充足の低下を伴います。これは現代社会にも通じる肥大社会の宿命でもあります。
・縄文人は、ともすれば薄れていく集団関係を性・踊りや精霊・祖霊にまつわる充足感・仲間意識を紐帯として、拡大していく“社会”を結束させていきます。
元を辿ると、我々が踊る理由は生や死を想うから踊るのであった。
生きる喜びの踊り、死を弔う踊り。祈りとしての踊り。
男女混合。クラブで出会ってソッコーSEX。
これも間違いじゃなかったということになる。
時代は変容していくし、新たなる哲学も生まれる。
この世界とは?
神とは?
人間とは?
古代から幾人もの哲学者が考えぬいた。
ニーチェは「神は死んだ」
フーコーは「人間の終焉」
と言った。
しかしずっと残っているものは伝承されている感情としての踊りだ。
神は死んでも、人間が終わっても人々は踊り続ける。そこに音楽がるある限り。
それではよい終末を!
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